2021年 11月 06日 (土)
私の王 救いのみわざを行う方
この詩篇の作者は、廃墟と化してしまったエルサレムを目の前にしながら歌っています。敵によって聖所はことごとく打ち砕かれ、火を放たれ、汚されました。イスラエルを神の民としていたしるしは見られなくなりました。神の言葉を語る預言者たちさえもいなくなりました(9)。これらは、エルサレムの崩壊とバビロン捕囚の時代の出来事だと考えられます。詩人は、イスラエルは神さまご自身が買い取って贖った民(2)であるのに、なぜ助けることなく、御手を引いておられる(11)のかと疑問に思いました。また、なぜ神さまがこれほどの御怒りを燃やされるのかも、理解できずにいました(1)。
詩人は、心が苦しくてたまらなかったのではないでしょうか。しかし、彼は、王なる神、救いのみわざを行う方を見上げるようにしました。神の創造の力と完璧な統治者としての能力に思いを馳せました(12-17)。そして、「どうか、契約に目を留めてください」と神に訴えました(20)。神とイスラエルの民は、契約を結んだ関係にありました。神は、イスラエルを愛し、その主として常にともにいてくださる、そしてイスラエルは、その主を愛し、信じて従うという契約でした。民のほうは、何度もその契約を破ってきましたが、神さまはそれでもご自分の民を捨てることなく、続けてイスラエルの神でいて下さいました。アブラハム、イサク、ヤコブと交わした契約に基づいて神さまはその子孫を、守り続けてくださいました。私たちクリスチャンも、イエス・キリストの流された血潮によって神さまと契約を交わしている者であります。天の父なる神さまの救いと守りを約束されている者です。理不尽な出来事や心が苦しくなるような状況に陥った時、この詩人のように、私の王、私の神さまに目を向けてその愛と守りを信じて祈りましょう。時がくれば、神さまが救い出し、高めてくださいます。(Ⅰペテロ5:6)
適用:どんな神さまに祈っていますか
一言:私を救ってくださる王なる神さま
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