聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2018]

2018年 02月 12日 (月)

イザヤ書46:1-13(5)
わたしをだれになぞらえて比べ

 神様は、ヤコブの家の残りの者を、胎内にいる時から担い、生まれる前から運んできた愛しい者だと言われます。神様は、彼らが年をとっても、白髪になっても、同じように運び、背負い、救い出すと約束してくださいます。神様の愛は、咎重きご自分の民を抱き、背負い、運んでくださる愛です。この愛を偶像となぞらえて比べることはできません。金細工人が作りあげ、肩にかつぎ、立たせたものが偶像です。神様は、動かず、答えず、救ってもくれない偶像とは比べものになりません。
 神様は背く者らに、「遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。(9)」と叫ばれます。神様は終わりの事を初めから告げるお方です。神様のはかりごと、望むことはすべて成就します。神様ははかりごとの成就のため、東から猛禽を、遠い地から人を呼んでそれを行われます。イスラエルの救い、即ち、バビロン捕囚の地からの帰還で滅びたイスラエルの再建をなされます。神の都、シオンの山、廃墟と化したエルサレムは回復されます。イスラエルが強情で、正義から遠ざかっていても、神様が勝利を近づけ、救いを遅れることなく成し遂げられます。神様はシオンに救いを与え、イスラエルに神様の光栄を与えます。世の何ものも神様の救いと力と愛になぞらえて比べることはできません。

適用:咎重き者であっても望みがある理由は何でしょうか

一言:わたしの救いは遅れることがない


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