聖書別日ごとの糧   >>   ミカ書[2020]

2020年 02月 20日 (木)

ミカ書7:1-20(18)
いつくしみを喜ばれる神様

 ユダの状態は収穫の終わったぶどう畑のようで、もう食べられる実は何一つありませんでした(1)。本来ならば敬虔と公正の実を実らせているべきなのに、敬虔な者は消え失せ、正しい者は一人もいなくなりました。人々は互いに命を奪い、陥れようとしました。指導者たちは自分の利益のために賄賂を取って、巧みに悪事を働きました。結局、親しい友も家族も信頼できず、敵対してしまいます(5,6)。このようになってしまった理由は何でしょうか。お金に対して貪欲になったからです。彼らは金銭を愛しすぎて、人よりもお金、命よりもお金、正しく生きるよりもお金、真理よりもお金を追い求めました。
 それで彼らは豊かになったでしょうか。満たされるどころか、何一つ残っていないぶどう畑のようになってしまいました。正しい人がいなくて滅ぼされたソドムのように、ユダにも刑罰の日が予告されました(4)。「主はどこにいるのか」と言って神様を侮り、私利私欲のために生きた人々は道の泥のように踏みにじられます(10)。その地は彼らの行いの実によって荒れ果てます(13)。
 神様はいつくしみを喜ばれます(18)。彼らは御怒りを受けて滅び去るべき者ですが、神様は御怒りをいつまでも持ち続けず、静められます。彼らの罪と咎を踏みつけ、海の深みに投げ入れて二度と思い出されません。先祖アブラハム、イサク、ヤコブとの誓いのためにイスラエルにいつくしみをかけられます。いつくしみを喜ばれる神様がイスラエルを憐れんでくださるので、彼らは生き残ることができます。人は見かけを美しく立派に装っていても、本当の自分の姿と向き合ってみると醜い姿、希望のない姿、実のない姿ばかりになります。神様はこのような私たちをいつくしんでくださいます。人は金銭を愛して貪欲の罪に陥りますが、いつくしみ深い神様は憐れんでくださいます。私たちの神様のような方はほかにありません。


適用:今日も神様のいつくしみによって生きていることを覚えていますか

一言:金銭を愛する人、いつくしみを喜ばれる神様


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