聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネ[etc]

2024年 01月 02日 (火)

ヨハネの福音書1:1-5(4)
人の光であられるイエス様

 万物の初めに御言葉がありました。この御言葉は神様です。この御言葉は、人となって私たちの間に住まわれたイエス様を指します(1:14)。ですから、イエス様は単なる偉大な人間ではありません。イエス様は初めにおられた神様です。このイエス様によって、すべてのものは造られました。イエス様はすべての源であり、全てのいのちの源です。

 イエス様の中には、いのちがあります。このいのちは、ただのいのちではありません。このいのちは霊的ないのちです。また、生命力に満ち溢れる本当のいのちであり、永遠のいのちです。このいのちは、罪と死の陰に座っている者に、真の人生の意味と目的を与えます。このいのちが与えられた者は、たましいが生き返り、永遠のいのちの中を歩むようになります。誰でもイエス様を信じる時、このいのちを得ます。凍りついた大地を割って芽生える新芽のように、生命力に満ち溢れる新しい人生を生きるようになります。自分の置かれた環境や条件がどうであれ、喜びと満足のある人生を生きることができます。

 またこのいのちは、人の光です。イエス様は神様ですが、いのちの光をくださるために、人として私たちの中に来られました。罪によっていのちを失い、闇の中で生活している私たちに訪ねて来られ、最も低くなって訪ねて来られました。イエス様は蔑視と嘲笑を受けながらも、徹底的にご自分を差し出されました。後には、十字架でご自分のいのちまでも差し出されることで、私たちにいのちと光をくださいました。このイエス様の中に恵みとまことが満ちています。



祈り:本来神であられるイエス様が罪人を救うために人となられ、この世に来られたことを感謝します。私の心に来て下さり、いのちと光を与えて下さり感謝します。今年一年、私が主のいのちと光を持つ者として、祝福の源として用いられるように祈ります。

一言:主のいのちと光が私のうちに


<<(1)    前のページ(9)    (10)>>

聖書別日ごとの糧