聖書別日ごとの糧   >>   エペソ[2022]

2022年 08月 11日 (木)

エペソ人への手紙2:1-10(10)
良い行いをするために造られた者

 かつて私たちは背きと罪の中に死んでいた者でした。道徳的にも霊的にも罪人であって、神様の裁きを受けるしかない者でした。以前はこの世の流れに従って歩んでいました。また、空中の権威を持つ支配者、すなわち、サタンの奴隷となって神様に不従順でした。私たちは自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行う、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした(3)。しかし、あわれみ豊かな神様は、その大きな愛のゆえに、私たちをキリストとともに生かしてくださいました。道徳的にも霊的にも罪の中にいて裁かれるしかなかった私たちが救われたのは、神様の恵みのゆえです(5)。私たちはキリストにあって新しい命を得ました。私たちはキリスト・イエスにあってよみがえりを体験し、天に上り、イエス様とともに王となるのです(6)。

神様は何のために私たちを救ったのでしょうか。神様の限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためです(7)。救われた者は神様の豊かな慈愛と恵みをこの世に表わす者です。私たちは神様の救いの作品がどんなに素晴らしいかを、この世に表わすために造られた作品たちです。もちろん、私たちが救われたのは行いによるのではありません。神様の恵みのゆえに、信仰によって救われました(8)。ですから、だれも誇ることができません(9)。恵みを受ける資格のない私たちを救い、キリスト・イエスにあって新しく造られたのは、良い行いに歩むことによって神様の栄光を表すためです(10)。ですから、私たちは良い行い、すなわち、神様の御心と御言葉に従って生きることに専念しなければなりません。



適用:何のために私を救ったのでしょうか

一言:良い行いのために



2022年 08月 12日 (金)

エペソ人への手紙2:11-22(22)
ともに築き上げられ

 イエス様を信じる前のエペソの聖徒たちは、神様の約束とは何のかかわりもない異邦人と無割礼の者たちでした。キリストから遠く離れ、神様の祝福からも除外された人たちでした。罪深きこの世にあって望みもなく生きていた人たちでした。そんな彼らがキリストの血によって近い者となりました。イエス様は十字架の血によって、異邦人とユダヤ人の間の隔ての壁を打ち壊し、和解させてくださいました。実に、キリストにあって一つの体となって、一つの御霊によって御父に近づくことができました。もう異邦人は他国人でも、寄留者でもありません。聖徒たちと同じ神の国の民であって、神の家族です。まさにこれこそが教会を意味します。

 教会とは、旧約の預言者たちと新約の使徒たちの土台の上に、イエス様を要の石として、互いに組み合わされて成長していく無形の建物です。教会は「キリストにあって」要の石であるイエス様から始まって、互いに「組み合わされて」、「ともに築き上げられて」行きます。建築資材が組み合わされて建物が建てられるのと同じく、色んな人たちがイエスにあって繋がって、一つの建物である教会を築いていくのです。教会の行き着くところは、「キリストにあっての宮」、「御霊によって神の御住まい」となることです。主なる神様の民の集いである教会が、神様が住まわれる聖なる宮となることです。ここで、私たちは教会の意味することを学ぶことができます。教会は信じる者同士の関係性を大切にしなければならない家族共同体です。未完成である弱くて欠点の多い人々が、イエス様にあって互いに組み合わされて、築き上げられていく過程にあります。その過程で、色んな不完全な要素のため失望することもあるでしょう。しかし、イエス様を中心にしながら人々が組み合わされて成長して行きます。神様が建ててくださるので、ついには美しい聖なる宮となります。



適用:イエス様にあってともに築き上げられていますか

一言:神の御住まいとなる


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