聖書別日ごとの糧   >>   創世記[2012]

2012年 07月 23日 (月)

創世記2:1-7
安息日を造られた神様

Ⅰ.安息日を聖であるとされた神様(1-3)
 神様は六日の間天と地を造られ、第七日目に休まれました。そしてその日を祝福し、聖であるとされました。安息日は他の日とは違って、聖なる日です。安息日には、世の業を休んで神様に礼拝をささげ、聖徒たちと交わらなければなりません。そのような時、私たちの生活に、神様の安息があります。今日、人々に本当の意味での休みがないのは、欲望のために安息日にも働こうとするからであり、休もうとしても、肉体だけを休めようとして、神様との交わりを通しての霊的な休みがないからです。
Ⅱ.いのちの息を吹き込まれた神様(4-7)
 地には雨もなく、地には草木もなかった時、神様は人を造られました。神様は土地のちりで人を形造られました。そして神様は、その鼻にいのちの息を吹き込まれたので、人は、生きものとなりました。「生きもの」とは生きている存在、あるいは、たましいを持った存在と言う意味です。それで人は肉体的には土地のちりに過ぎません。しかし人が本当の意味での人であるのは、神様がその人にたましいをくださったからです。人は肉体を持っているのでパンを食べなければなりません。しかし人にはたましいがあるので、神様の御言葉が必要です(マタ4:4)。神様の御言葉がなくては、人に本当の満足がありません。神様は人をそのように造られました。

祈り:主よ!肉体的な満足を通しては、本当の満足がないことを知りました。安息日に主と交わることによって、本当の安息をください。

一言:人には、たましいがある



2012年 07月 24日 (火)

創世記2:8-25
エデンの園を設けられた神様

Ⅰ.聖なる命令をくださった神様(8-17)
 エデンの園には、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木がありました。四つの川がエデンから流れ出て、園を潤していました。また、金、真珠、しまめのうのような宝石も埋まっていました。園の中央には、永遠に生きる「いのちの木」もありました(9)。神様は人をそこに置かれ、治め、管理する使命を与えられました。園のどの木からでも思いのまま食べることができる無限の自由をくださいました。しかしただ、「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。」と命じられました。この命令は、人に与えられた絶対的な生きる座標であり、創造主神様と被造物である人の間に存在する霊的な秩序を想起させる命令です。人がいくら豊かな環境の中にいても、神様との秩序を守らなければ、幸福を守ることができません。私たちの心の中に、神様の絶対的な御言葉を置いて、神様との秩序を守らなければ、エデンの幸福を見つけ出すことができません。
Ⅱ.ふさわしい助け手をくださった神様(18-25)
 神様は、アダムが一人では神様がくださった使命を担うのが難しいことを知っておられ、ふさわしい助け手として女を造られました。女の使命は男を助けるのにあります。これは、神様がお立てになった秩序です。しかし、助ける人が、助けられる人よりも、もっと優れていなければならないことを忘れてはなりません。

祈り:主よ!神様を覚え、御言葉に従う生活にエデンの幸福があることを知りました。聖なる御言葉に聞き従います。

一言:絶対的な命令


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