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2014年 01月 01日 (水)

詩篇20:1-9
主の御名を誇ろう

1.あなたのすべてのはかりごとを遂げさせてくださいますように(1-5)
 この詩は、出陣を目前にして、神様にささげた祈りです。ダビデは戦争を目の前にして、緊迫した状況で、まず患難の日に、自分を助けてくださる神様を信じて祈りました。そして、勝利によって、凱旋歌を歌って、神様を賛美し、神様の御名によって、旗を高くかかげることができるように、祈りました。彼は、神様の栄光のために、というはっきりとした望みの中で、祈りをささげるなら、神様が必ず答えてくださることを信じました(1)。
2.私たちは立ち上がり、まっすぐに立った(6-9)
 彼は祈る中で、神様が、油をそそがれた者をお救いになることを、確信するようになりました(6)。勝利は、その人がどれだけ強いのかにあるのではなく、その人が神様に属しているのか属していないのか、にかかっています。神様に属するためには、いくさ車や馬のような軍事力に頼ることより、神様の御名を誇らなければなりません。人の能力やこの世での所有を誇る者はひざをつき、倒れます。しかし、神様の御名を誇る者はどんな患者の中でも立ち上がり、まっすぐに立ちます。
 新年を迎えました。今、新しい霊的な戦いが始まりました。今年は、どんなに緊迫した状況であっても、私たちが主に求める中で、私の力より、主に頼り、主を誇り、霊的な戦いで勝利できるように、祈ります。

祈り:主よ!私の力になってくださり、感謝します。私が神様に頼り、戦って、神様の御名を誇る一年になるように、助けてください。

一言:主の御名のために



2014年 01月 02日 (木)

詩篇108:1-13
私は暁を呼びさましたい

1.私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう(1-7)
 この詩は、ダビデがサウルを避けて、ほら穴に身を潜めた時に作ったものです(詩57:7)。ダビデは、神様が自分を捨てたのではないかという疑いと、心配の中で、心がなえていました(11)。しかし、彼はそのような中でも、心を強くし、心を込めて神様を賛美しました。「十弦の琴よ、立琴よ。目をさませ。私は暁を呼びさましたい。」(2)。暁は、一日を始める最も新鮮な時間です。ダビデは、この時間に神様を賛美しようとしました。彼は、国々の民の中にあって、主に感謝し、国民の中にあって、主を賛美しました。彼の心がこのように変えられたのは、主の恵みを知ったからです。「あなたの恵みは大きく、天の上にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。」(4)。主が、今まで自分に施してくださった恵みを真心を考えた時、暗い考えは退き、心に感謝と賛美がわき出ました。私たちは、実生活の中で、落胆したり、絶望したりする時があります。しかし、この主を受け入れるなら、どんな状況の中でも、感謝と賛美で満たされます。
2.あなたの右の手で救ってください(6-13)
 ダビデは今、自分を救ってくださるようにと、神様に祈りました。ダビデは祈る時、主の愛と能力を信じて、祈りました。そして神様の約束をつかんで、祈りました(7-10)。ダビデは、人の救いは根本的に虚しいことを、知っていました。

祈り:主よ!主だけが本当の救いです。私がどんな状況でも、この神様を黙想し、暁を呼びさまして、賛美するように助けてください。

一言:私は暁を呼びさましたい



2014年 01月 03日 (金)

詩篇126:1-6
種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、

1.私たちは夢を見ている者のようであった(1-3)
 この詩は、バビロンの捕囚から戻って来た時に、書かれたものです。バビロンの捕囚から解かれ、出て来た時の心情を詩人は、「私たちは夢を見ている者のようであった。」と言っています。それだけ、信じがたい喜びであり、感激でした。口は笑いで満たされ、舌は喜びの叫びで満たされました。しかし、詩人の喜びは、自分が得た自由のためだけではありませんでした。大いなる御業によって、国々の間に、神様の大いなる栄光が現れたためです。
2.束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る(4-6)
 詩人の喜びは、すぐに悲しみに変わります。なぜなら、まだバビロンの捕虜として捕らえられている同族のことを考える時、素直に喜んではいられませんでした。それで彼は、残った捕虜を解き放って、ネゲブの流れのように、捕らわれ人を帰らせてくださいと、祈っています。しかし彼は、悲しみの中でも、神様が捕虜となった人々を帰らせてくださる、という望みを抱いています。「種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」(6)。
 私たちは、罪の捕虜になって生きていましたが、イエス様の恵みによって解放された、夢のような喜びを味わっています。しかし、まだ世の中には、罪の奴隷になっている人々が数多くいます。今、私たちは、農夫が畑に種を蒔くように、涙で御言葉の種を蒔かなければなりません。そうする時、神様が、喜び叫びながら束を持って帰って来るように、してくださいます。

祈り:主よ!夢のような救いを味わった私が、今は涙で種を蒔きます。喜び叫びながら、束を持って帰るようにしてください。

一言:喜び叫びながら、束をかかえて帰って来る。



2014年 11月 16日 (日)

詩篇95:1-11
感謝の歌をもって、御前に進み行き

1.さあ、主に向かって、喜び歌おう(1-7)
 詩人は歌います。「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。」私たちは、神様に進み出る時、喜びの歌を歌い、感謝する心で、出て行かなければなりません。なぜなら、神様は私にとって、救いの岩になるからです。また、主は海と陸地と私たちをお造りになった大いなる神様ですが、羊を牧する羊飼いのように、私たちを育ててくださるからです(7)。私たちを育てる肉体の両親の恵みは天よりも高いものです。まして、私たちのいのちを造られ、今日まで保護し、満たし、養育してくださった主の恵みは、どれだけ大きなものでしょうか。収穫感謝祭の朝、私たちの羊飼いである神様に感謝する心で、礼拝するのは当然なことです。
2.あなたがたの心をかたくなにしてはならない(8-11)
 詩篇の著者は、感謝の賛美と共に、神様の警告を話しました。メリバやマサでの日のように、心をかたくなにしてはならない、と警告します(出17:1-7)。彼らは、神様に対する不信仰によって、神様を試み、敵対して、神様の安息に入ることができませんでした。不信仰と不従順は、神様が忌みきらわれるものです(10)。私たちが、言葉では、神様を賛美し感謝しても、不信仰と不従順で心をかたくなにするなら、それは、本当の感謝の礼拝にはなりません。信頼と従順の心で、神様に完全な感謝をしなければなりません。

祈り:主よ!主が施してくださった全ての恵みに感謝し、喜びによって賛美します。感謝の祭壇を受け取ってくださり、全てのことにおいて、私たちを祝福してくださり、神様を賛美するように助けてください。

一言:感謝しつつ、その御前に進み出て


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