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2022年 01月 01日 (土)

詩篇 1:1-6(1,2)            <新年特集1>
幸いな人

 どのような人が幸いだと思いますか。一戸建て、安定した職場、経済的にも時間的にも余裕のある人生が、幸いに見えないでしょうか。多くの人が、そのようになるために、汗を流し、朝から晩まで働きます。ところが、この世には悪しき者のはかりごとに歩みながら世の富を手にする人もいます。悪知恵を働かせた方がほしいものをより簡単に、より早く手に入れられると思う人がいます。そのような悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たないとき、時代に合わないと嘲られる時もあります。この世はこのような人たちが時代の主流を形成している時さえあります。そのような悪しき者の成功をうらやましがったり、幸いな人だと思ったりする人もいるでしょう。またそのような人々と同じ道を歩むように誘惑される時もあります。

 しかし、まことに幸いな人はどんな人ですか。主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ人です。口ずさむとは、繰り返し口の中で反芻(はんすう)することです。幸いな人は、主のおしえを黙想しながら真理を悟ること、神様とこの世と人間についてもっと知ることを喜びとします。昼も夜も、苦しいときにも楽しいときにも、成功したときにも失敗したときにも、主のおしえを口ずさみます。悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、主のおしえに従い、ものごとを判断します。そのように生きる人の人生は、流れる水のほとりに植えられた木のようです。その流れのほとりに植えられた木にはいつも豊かな水が供給されるので、干ばつがあっても問題ありません。むしろ強い日差しと干ばつで根本が強くなり、豊かな実を結びます。主のおしえを喜びとし、昼も夜も黙想する人は、御言葉を通して、厳しいこの世の中でも、乾かない信仰と希望、平和、柔和、自制などが与えられます。苦難の中で、豊かな実を結ぶ人生を生きるようになります。その人の人生は豊かになります。



適用:幸いな人とはどんな人ですか

一言:主のおしえを喜びとし、口ずさむ人



2022年 12月 31日 (土)

詩篇23:1-6(1)               年末特集
主は私の羊飼い

羊は目が悪くて遠くを見ることができず、良い草と毒草を区別できません。憶病で猛獣から自分を防御する力もありませんが、いじっぱりです。羊は牧者の助けが絶対的に必要な動物です。詩人は自分を羊として、主を羊飼いとして告白しています。羊飼いである神様は、羊たちを緑の牧場に伏させ、憩いのみぎわに伴われます (2)。罪の誘惑が多い世で、義の道に導いて下さり、疲れた魂を生き返らせます。主はいつも私とともにおられます。主が私とともにおられる限り、死の陰の谷を歩むことがあっても、災いを恐れません。主が私を徹底的に守って下さるからです。主は敵に打ち勝つようにされ、敵の目の前で尊くあげられます。溢れるばかりの祝福を注いで下さいます。私の命の日の限り、私がどこに行っても、どんな状況に処せられても、いつくしみと恵みとが私を追ってきます。

人生の道には、苦難や敗北があり、敵の攻撃も絶えません。道を失い、どこに行けばよいのか分からず、一人ぼっちのようで孤独で怯える時もあります。死の陰の谷を歩むこともあります。すると、人々はお金や権力、偉い人に頼ろうとします。しかし、それらは私達の真の羊飼いにはなれません。神様だけが私達の牧者になられます。牧者である神様の導きの中で、私達の人生は全ての事が働かされて善と成ります。いつも私とともにおられ、私を導き、守り、養い育てて下さる主が私の牧者ですから、私は乏しいことがありません。

この詩は、ダビデが晩年に自分の全人生を回顧しながら作った詩として知られています。主を自分の良き羊飼いとして信頼したダビデは、「私は乏しいことがありません」「私の杯はあふれています」と告白できる人生を歩むことができました。私達のことも、良き羊飼いである主が今まで守って下さいました。主は一生、私とともにおられます。



祈り:主が私の羊飼いなので、私は乏しいことがありません。感謝します。

一言:主は良い羊飼い


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