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2023年 01月 02日 (月)

詩篇130:1-131:3(130:5)
私は主を待ち望みます

詩人は、罪によって深い所に落ちていました。罪によって落ちたところは、深く、暗く、苦痛が伴うところでした。自力では、抜け出すことが難しい状態です。このように、大きな罪であっても、小さな罪であっても、罪は人を深い所に落としてしまいます。霊的に深い淵に落とします。暗く、もどかしく、無力な状態にさせ、抜け出せない状態に陥れます。そして、神様から遠ざけます。しかし、詩人は、深い淵から神様を呼び求め、主にすがりつきます。主を待ち望み、主の御言葉を望んでいます。夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ち望みます。人々が甘い夜に浸っている間、夜回りは眠ることができません。夜回りにとって、夜はあまりにも長く、つらく、孤独です。夜回りにとって、夜明けは望みであり、いのちです。詩人も、神様を待ち望みます。なぜなら罪を赦し、救ってくださる方は、神様だけであることを知っているからです(4)。神様の御言葉と赦しだけが、救いと望みといのちを与え、たましいを和らげ、いのちと喜びがあふれ出る源です。私たちが深い淵に落ちた時には、詩人のように神様を切に探し、すがりつきましょう。慈しみ深い神様は、そのような人と会い、全ての罪から贖ってくださいます。

詩人は、自分の限界をよく知っています。それで、高ぶらず、担いきれないことをしようとはしません。大きな欲を持ちません。彼はただ、主だけを待ち望み、頼ります。自分の限界を知り、主に頼る彼のたましいは、母親に抱かれた乳飲み子のようです。恐れや心配がありません。たましいは静かで、平穏で、幸せです。高ぶる人には、このような静けさと平安がありません。私たちも、今からとこしえまでに、主を待ち望みましょう。



祈り:主よ、あなたには赦しがあり、恵みがあり、豊かな贖いがあることを信じます。どんな深い淵にいたとしても、あなたを呼び求めますから、あなたの赦し、恵み、贖いを体験させて下さい。

一言:主を待ち望め



2023年 11月 19日 (日)

詩篇100:1-5(3)     収穫感謝祭
主が私たちを造られた。私たちは主のもの

 神の民として、いつどうあっても、主に向かい喜びの声をあげていたいものです。喜びをもって仕えること、喜び歌いつつ御前に進むこと、神様はそれを望んでおられます。喜びを歌い、主に仕える理由はなんでしょうか。それは、主が私たちの神であられるからです。主が、私たちを造られました。主は創造者であり、私たちの父でもあります。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊です。父なる神、牧者のような神が、私たちを見守り、養い育てておられます。このことを信じるなら、私たちは喜びをもって主を賛美し、主に仕えてゆくようになります。神がともにおられること、私たちの神でいて下さることを思うだけでも、心強められ、賛美が口につくものです。このことを知っているだけでも、どれほどの感謝であり、喜びとなることでしょうか。ですから、私たちはいつも主に感謝し、御前に進み出てゆきましょう。賛美しつつ、その大庭に入り、主に感謝し、御名をほめたたえましょう。「大庭」という表現には、神が統治者であられること、王であられることを告白する意味があります。主は、この世界を治めておられ、あなたの人生も治めておられます。あなたは神に守られているのですから、何を恐れ、何を懸念するのでしょうか。主はいつくしみ深いお方です。主は私たちひとりひとりに聖なる御心をお持ちになられます。主の愛や誠実さは瞬間的に私たちに訪れるようなものではありません。主の恵みはとこしえまで続き、主の真実は代々に至るのです。



祈り:父よ、私の創造者として、牧者として私を養って下さっていることを感謝します。私が毎日、喜び歌いつつあなたの御前に行くことができるように助けてください。

一言:その恵みはとこしえまで


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