聖書別日ごとの糧   >>   ガラテヤ[2020]

2020年 07月 29日 (水)

ガラテヤ人ヘの手紙5:1-15(13)
愛をもって互いに仕え合いなさい

 キリストは、私たちの罪の為に十字架につけられ、死なれたことによって、私たちを自由にして下さいました。ですから、私たちはキリストの御恵みの上に堅く立って、再び律法の奴隷にはならないようにしなければなりません。割礼を受けることは、キリストの恵みを無益にします。なぜなら、割礼は律法を守ることで義と認められよう(救われよう)とすることであり、人の努力や行為を義の基準とするからです。私たちは、義とされる望みの実現を、信仰により、御霊によって待ち望んでいるのです。キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。イエス・キリストを信じる信仰のみが、私たちを罪と死の勢力から救います。私たちは救いを得るために律法的な努力を諦めなければなりません。ただ、聖霊の助けによって、キリストを信じ、義と認められるようにしなければなりません。
 信者が律法のくびきを負わないで、自由な生活をする為に、避けるべきことと行うべきこととがあります。信者はイエス様より得た自由を、肉の欲望を満たす機会としないようにしなければなりません。イエス様にあって自由を与えられた者は、愛をもって互いに仕え合うべきです。愛をもって仕えることは、自由を抑圧することではありません。むしろ、互いに愛する時、自分を縛っている利己心から解放されもっと自由になれます。互いに愛することがすべての律法の要求を満たす道なのです(14、ロ-マ13:8)。私たちは、イエス様が与えて下さった自由の中で同労者たちと羊たちに仕えるしもべになります。


適用:自由をどのように使っていますか

一言:愛をもって互いに仕え合いなさい



2020年 07月 30日 (木)

ガラテヤ人ヘの手紙5:16-26(16)
御霊によって歩みなさい

 本文は、肉の欲望を満たす者と御霊によって生きる者が結ぶ実が、どう違うのかを話しています。肉の望むままに生きる者たちは常に御霊に逆らいます。なぜなら、肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互いに対立しているのです。肉の望みを追い求めながら生きる者は、罪の実を結びます。肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉み、憤り、党派心、分裂、分派、妬み、泥酔、遊興、そういった類のものです(19-21上)。これらは、性的に、信仰的に、社会的に悪いことです。このようなことをする者たちは決して御国を相続できません。彼らには神様の御怒りが下ります(コロサイ3:5,6)。
  反面、御霊によって生きるなら、肉の欲望に惑わされず、律法の下にいないので、自由なのです(16,18)。御霊は、キリストの霊であり、助け主であり、キリストを信じる者たちの内に住んでいてくださいます。そんな御霊の導きに従って歩むなら、美しい実を結ぶようになります。御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です(22,23)。このようなものに反対する律法はありません。なぜなら、律法が成そうとする根本目的が、このような実を結ぶことだからです。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたので、もうこれ以上、罪に縛られません。私たち信者は、肉の欲望のままに生きるしか出来なかった人生から自由になり、御霊に従って生き、御霊の実を結ぶ者になりました。


適用:どんな実を結びますか

一言:御霊の実


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