聖書別日ごとの糧   >>   テモテⅠ[2013]

2013年 07月 02日 (火)

1テモテ3:1-13
職につきたいと思うなら

 主の御業は一人ではできません。共に同労する者を立てなければなりません。どんな人に職を与え、立てるべきでしょうか。監督は、兄弟たちを神様の御言葉で養育し、保護する責任を持った職です。この職につきたいと思うなら、何よりもまず、すばらしい仕事を求めなければなりません。主を喜ばせようとする人生の方向が、はっきりとしていなければなりません。また、個人生活において、模範にならなければなりません。自己管理に失敗するなら、兄弟たちを顧みることができません。また、家庭を治めることによって、良い影響力のある人でなければなりません。このような条件を備えているからといって、初心者を立ててはいけません。なぜなら、高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。また、外部の人からも評判の良い人でなければなりません。このように監督者には、要求条件が多くあります。なぜなら霊的な指導者は非凡でなければならないからです。
 執事は管理して、奉仕する職です。初代教会では、特に救済事業を任されていました。このような実務的なことを任された執事は、非難される点がなければなりません。何より、信仰の秘密を守る人でなければなりません。それで、神様の恵みによって結ばれた者でなければなりません。福音の御業において、人を立てることほど、大切なことはありません。それで慎重でなければなりません。まず、吟味して見て、立てなければなりません。「どんな人を立てるのか」は、「兄弟たちをどのような人に養育するのか」ということです。私たちは、兄弟たちを、監督者や執事にふさわしい人に育てなければなりません。

祈り:主よ!私が慎重に人を立て、また兄弟たちを主の御業に用いられる者に養育できるように、助けてください。

一言:ふさわしい人を立てよう



2013年 07月 03日 (水)

1テモテ3:14-4:5
神の家

 パウロはテモテに、神の家でどのように行動すべきかを知らせるために、この手紙を書きました。それで、「どんな集まりとして導くのか」、「誰を立てるのか」を話しました。ところが、何よりも、「教会が何であるのか」という認識が重要です。教会は神様の家です。教会は、世俗的な親交を深める所では、ありません。自分の必要と要求を満たす所でもありません。教会は、人ではなく、神様がお与えになった所です。どうすれば、神様を喜ばせることができるのか、を探して行なう所です。また、真理の柱また土台です。真理であるイエス様を中心として、キリストの福音を宣べ伝え、闘争する所です。万民を抱き、仕える所です。教会がイエス様を中心としない時、また、福音伝道をおろそかにする時、力を失ってしまいます。
 教会は福音の真理を守る所です。ところが、ある人々が信仰から離れて行くことが起こります。その理由は、真理であるイエス様よりも、惑わす霊と悪霊の教えとに心が奪われるからです。彼らは良心が麻痺しています。それで、偽善になり、うそをついても、全く良心の呵責も感じません。彼らは結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし、信仰があり、真理を知っている人は感謝して結婚し、食物を食べれば良いのです。感謝する心で受ければ、問題になるものは何もありません。神様の御言葉と祈りによって、聖められるからです。

祈り:主よ!私たちの集まりが真理の柱と土台として用いられるように、また、御言葉と祈りによって、聖められるように助けてください。

一言:真理の柱と土台


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