聖書別日ごとの糧   >>   伝道者の書[2014]

2014年 03月 22日 (土)

伝道者の書3:1-15
すべて時にかなって美しい

 何事にも定まった時期があり、すべての営みには時があります。生まれるのに時があり、死ぬのに時があり、植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時があります。泣くのに時があり、ほほえむのに時があり、嘆くのに時があり、踊るのに時があります。全ての事は、神様が定められた計画と御旨に従って、適切な時に成し遂げられます。世の中には、偶然にできたものはありません。偶然のように見えても、実際は、定められた目的と経過を成し遂げる過程があります。ソロモンが日の下で見ると、すべてのことがむなしいです。しかし、神様の側から見る時、全てのことが神様の計画の一部です。
 日の下で見ると、働く者はその労苦によって、何の益も得ません。これらのものも、神様が人の子らに与えて労苦させたものです。神様のなさることは、すべて時にかなって美しいものです。しかし、人は、神様が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることはできません。私たちが生きる日の間、喜び楽しむことが、最善の人生です。食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見い出すこともまた神様の賜物です。神様のなされることはみな、永遠に変わりません。それに何かをつけ加えることも、何かを取り去ることもできません。神様がこのようにされるのは、人が神様の御前で恐れ敬うためです。全てのものがくり返されているように見えますが、ここにも、神様の御旨があります。すべてのことには、神様のおかれた美しい目的があります。私たちは人生を、日の下で見るのではなく、神様の側から見て、神様を恐れ敬わなければなりません。

祈り:主よ!私が、時に従って美しくなされる神様の側から、全てのことを見る目を持つように助けてください。

一言:すべて時にかなって美しい



2014年 03月 23日 (日)

伝道者の書3:16-22
自分の仕事を楽しむよりほかに

 ソロモンは、もう一度、日の下で詳しく人を見ました。彼は、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見ました。ソロモンは、「神様が正しい人も悪者もさばく」と思いました。それは、神様が全ての目的と全てのことを成し遂げる時があるからです。ところが、神様が、悪を行なうのをさばかれず、放置される理由は何でしょうか。それは、彼らに、人が獣に過ぎないことを、悟らせるためでした。人の子の結末と獣の結末とは同じ結末です。同じ息を持っていて、獣と同じように人も死にます。人が何も獣にまさっていないので、すべてはむなしいからです。日の下で見ると、人も獣も何の変わりもない存在です。
 人も獣も、ちりから出たので、すべてのものはちりに帰ります。結局は、みな一つの所に行きます。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを、誰が知っているのでしょうか。人が死んだ後には、彼に起こることを、誰が見せてくれるのでしょう。それで人が生きている時に、自分の仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがありません。これが、人に与えられた運命です。日の下の人生観を持った人は、死の前では、全てのものがむなしいのです。それで、彼らの最高の関心は、死ぬ前に人生を楽しむことです。これが、日の下に住む者の人生観です。

祈り:主よ!私が、人も獣もみな死ぬからといって、獣のような人生を生きないように、助けてください。

一言:日の下での関心は


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