□5月13日(水)
手幅ほどの人生
詩篇39:1-13 (5,7)
聖書本文
39:1 私は言った。
私は自分の道に気をつけよう。
私が舌で罪を犯さないように。
口に口輪をはめておこう。
悪しき者が私の前にいる間は。
39:2 私はひたすら黙っていた。
良いことにさえ沈黙した。
そのため私の痛みは激しくなった。
39:3 心は私のうちで熱くなり
うめきとともに 火が燃え上がった。
そこで私は自分の舌で言った。
39:4 【主】よ お知らせください。
私の終わり 私の齢がどれだけなのか。
私がいかにはかないかを 知ることができるように。
39:5 ご覧ください。
あなたは 私の日数を手幅ほどにされました。
あなたの御前では 私の一生はないも同然です。
人はみなしっかり立ってはいても
実に空しいかぎりです。 セラ
39:6 まことに 人は幻のように歩き回り
まことに 空しく立ち騒ぎます。
人は蓄えるが だれのものになるのか知りません。
39:7 主よ 今 私は何を待ち望みましょう。
私の望み それはあなたです。
39:8 私のすべての背きから 私を助け出してください。
私を 愚か者のそしりの的としないでください。
39:9 私は黙し 口を開きません。
あなたがそうなさったからです。
39:10 どうか あなたのむちを取り去ってください。
あなたの手に打たれて 私は衰え果てました。
39:11 あなたは 不義を責めて人を懲らしめ
シミが食うように人の欲するものをなくされます。
実に 人はみな空しいものです。 セラ
39:12 【主】よ 私の祈りを聞いてください。
助けを求める叫びに 耳を傾けてください。
私の涙に 黙っていないでください。
私は あなたとともにいる旅人
すべての先祖のように 寄留の者なのです。
39:13 私を見つめないでください。
私が朗らかになれるようにしてください。
私が去って いなくなる前に。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 許諾番号 4-1009-2
日毎の糧
ダビデは、舌で罪を犯さないために、悪しき者の前では口を慎もうと心に決めました。人を責めたり、争いに巻き込まれたりして、言葉によって自分自身を汚してしまうことを恐れたのです。舌がもたらす影響の大きさをよく知っていたからこそ、必要なら沈黙を選ぼうとしたその姿勢は、深い知恵に満ちています。言葉は時に、どんな武器よりも人を傷つけてしまうからです。
しかし、良いことさえ語らず沈黙を守り続けることは、ダビデにとって苦しいことでもありました。悪に対する憤りや、言いたいことを飲み込むもどかしさが、心の内で燃え上がっていきました。そのときダビデは、神様に、「私の終わり 私の齢がどれだけなのか。私がいかにはかないかを 知ることができるように。」(4b)と祈ります。
人ではなく、自分自身に目を向ける中で、彼は気づかされます。自分の人生は、まるで手幅ほどしかない、あまりにも短いものだということに。若さも、健康も、誇りに思ってきたものさえ、永遠の視点から見れば空しいものに過ぎません。人は短い人生の中で、蓄え、楽しもうと忙しく動き回りますが、その多くは空回りし、虚しさを残します。ダビデは、その虚しさを直視し、目に見える騒がしさや執着を手放して、永遠なるものに心を向けました。この世での栄華や富、成功は、真の望みにはなり得ません。私たちの真の望みは、ただ主ご自身です。主こそが望みであると悟ったダビデは、旅人としてこの世を生きる間、すべての罪から救い出してくださるよう祈ります。主のみを望みとする時、人は目に見える成果ではなく、生き方そのものと心の内を省みながら、聖なるものを待ち望む者へと変えられていくのです。
祈り:主よ、揺るがない望みをおけるのは、ただあなただけであることを悟ります。目に見える成果から視線を上にあげ、主だけを見つめる者に私をしてください。
一言:私の望み、それは主です
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。

